| 1.ムラの形成(弥生時代前期) |
やや小高い所を選んで人が住むようになります。遺跡の北部、西部、南部の3ヶ所にムラが形成されたようです。 |
| 2.ムラの分立(弥生時代中期初頭) |
3ヶ所に形成された居住区が、それぞれ周りに溝を巡らせて「環濠集落」の形をとります。西側の地区では大型建物も建築されました。 |
| 3.ムラの統合(弥生時代中期) |
3ヶ所の居住区が統合され、全体を囲む「大環濠」が掘削されます。大環濠で囲まれたムラの大きさは、直径約400mと考えられます。その周りを幾重にも溝が取り囲んでいました。中期後半には、楼閣をはじめとする建物、鹿、人物などの絵画を土器に描く風習が広まりました。 |
| 4.ムラの発展(弥生時代後期) |
中期末の洪水で環濠の大半は埋没しますが、すぐに再掘削が行われています。環濠帯の広さも最大規模となります。後期のはじめには、ムラの南部で青銅器の製作が行われました。 |
| 5.ムラの衰退(古墳時代前期) |
弥生時代中・後期には大環濠はなくなり、ムラの規模が縮小します。環濠の一部は再掘削されますが、
井戸などの居住区関連の遺構は大幅に減少します。 |
| ※ムラのその後(古墳時代以降) |
遺跡の中央付近で古墳時代後期の前方後円墳がみつかっています。この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。
中世には、在地武士の「唐古氏」「唐古南氏」「唐古東氏」の居館が遺跡内につくられます。唐古南氏の居館周辺は現在の鍵集落へと発展していくようです。 |