町の概要

2015年3月23日更新

地勢

 奈良盆地の中央部に位置し、東西約5.8キロメートル、南北6.1キロメートル、総面積は、21.09平方キロメートル。
町の東部を大和川、中央部を寺川、西部を飛鳥川、曽我川がそれぞれ北流し、これらの河川にはさまれた平坦地として形成され、豊かな田園都市という風貌を見せています。

 周りを山に囲まれ、夏は暑く、冬は寒い典型的な盆地型気候で、周辺の山地に比べて雨が少ないのが特徴です。

歴史

 本町は、歴史の国、大和の中でもっとも早くから開けたところで、弥生時代の大遺跡「唐古・鍵遺跡」など数多くの文化遺産が残っています。
水田は、古代から条里制が整備され、中世には、東大寺や興福寺などの荘園が設けられました。

 また、水陸交通の要衝の地にあることから、町の中心の田原本地区は中世に楽田寺の門前として開け、近世には教行寺の寺内町として発展しました。江戸時代には交代寄合の平野氏の陣屋町として栄え「大和の大坂」といわれるほど商業が盛んとなりました。

 明治22年町村制施行に際して、田原本町が発足、大正7年には大和鉄道(現近畿日本鉄道田原本線)が、同12年には大軌電車(現近畿日本鉄道橿原線)が開通し、駅前には映画館や飲食店がある商店街が形成され、近隣町村を含む広範囲な商圏を持っていました。

 昭和31年には、多村、川東村、平野村、都村、田原本町の5か町村が合併して新しい田原本町が誕生しました。昭和40年代から京阪神のベットタウンとして宅地開発が進み、現在、3万3千人を数える町に成長しています。

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