太安万侶の功績を町の誇りに

2012年8月1日更新

太安万侶が祭られている多神社の鳥居の写真

太安万侶が祭られている多神社

 今年は、「古事記」が太安万侶(おおのやすまろ)によって書き記されて1300年になります。

 太安万侶は田原本の多の地に生まれ育ち、長じて国の役人となり平城京に住みました。文武に優れ、民部卿などの要職を務めていたことが墓誌に記されています。

 壬申の乱(672年)に勝利した天武天皇が、国家をまとめるため歴史書の編集と暗誦(あんしょう)を、舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じました。天武天皇の没後、その遺志を受けて、元明天皇が太安万侶に「古事記」の撰録(せんろく)を命じ、和銅5年(712年)1月に天皇に献上され、歴史にその名をとどめることになりました。

 太安万侶の功績を称え、多神社を始めとして田原本に関わる古事記ゆかりの地や伝承などを伝えていくために、「古事記1300年紀事業実行委員会」(委員長・鈴木幸兵田原本町観光協会会長)が組織されました。田原本の地が古代において果たしてきた大きな役割と功績を、身近なこととして実感していただき、豊かな歴史と文化を町の誇りにつなげていきたいと願っています。この連載では太安万侶と古事記、そして田原本との関わりを1年間にわたり紹介していきます。

この記事に関するお問い合わせ先

担当:田原本町記紀・万葉事業実行委員会事務局 (田原本まちづくり観光振興機構内)
電話:0744-33-4560