太安万侶(おおのやすまろ)の御神像と墓

2012年8月6日更新

 今年は太安万侶によって「古事記」が記されて1300年になります。2月28日には、多神社の若宮であり太安万侶をお祭りしている小杜(こもり)神社で「古事記献上祭」が行われました。

「古事記」は天武天皇の命によって、それ以前に存在していた歴史書の「帝記」「旧辞」(いずれも現存していません)を基に、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記し語った神話や伝承などを太安万侶が記録し、そして712年に元明天皇の命によってそれらを編纂(へんさん)して3巻にとりまとめたものです。

 安万侶は今の田原本町多のあたりに居住していた豪族多氏の長で、壬申の乱(672年)において活躍した多品治(おおのほむじ)の子といわれています。長じて、国の役人となり平城京に赴任しました。そして古事記の編纂や、後には「日本書紀」の編纂にも携わりました。平城京の左京四条四坊(今のJR奈良駅西側)に住み、民部卿(みんぶきょう)・従四位下(じゅしいのげ)という官位に叙せられたことが、奈良市東部の茶畑で発見された火葬墓から出土した墓誌に記されています。

 どのような人物だったのかは、この墓誌に記された業績などから偲ぶしかありませんが、文武ともに優れた官僚だったと思われます。多神社資料館には安万侶の御神像が安置されています。また多神社の東には、太安万侶の墓と古来言い伝えられているこじんまりした塚が、多池のすぐ南の近鉄橿原線に沿った田の中にあります。

 この機会にお参りされてはいかがでしょうか。

太安万侶の御神像の写真

太安万侶の御神像(多神社資料館)

太安万侶の墓と言い伝えられる塚の写真

太安万侶の墓と言い伝えられる塚

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