安万侶(やすまろ)さんと多

2012年8月1日更新

南小学校の石碑の写真

南小学校の石碑

 太安万侶(おおのやすまろ)は豪族多氏の出身で田原本の多の地に生まれ育ちました。国の役人となり、文武に優れ民部卿(みんぶきょう)などの要職を務めました。多氏は葛城氏に次ぐ古代の氏族で、ここを本拠地として活躍していました。多氏の祖先を祭る多神社の神域は約900メートル四方で、大神神社をしのぐ大和屈指の大社でした。

 江戸時代の記録によると、今の田原本町南部から西部、東部それに橿原市北部にかけて30もの宮郷(みやごう)があり、広い村々によって支えられていました。今も、「おおれんぞ」や「大とんど」などの伝統行事や祭礼は宮郷によって支えられています。

 太安万侶もこの地に住んでいました。多の集落の南には、かつて多一族の屋敷があったと伝えられている「大上院」という地名が、小字として残っています。また、その西の小字「松ノ下」には安万侶の墓と言い伝えられている小さな塚が近鉄電車の線路沿いに祭られています。また、多氏は雅楽の祖としても知られています。9世紀中ごろに活躍した多臣自然麻呂(おおのおみじねんまろ)は舞楽・神楽の元祖といわれています。一族には音楽に関係する人が多く、宮中の雅楽をつかさどってきました。明治時代に「鉄道唱歌」を作曲した多梅雅(おおのうめわか)の功績を刻んだ石柱が、多神社の鳥居を入ったところに建っています。境内には、歌人の川田順が訪れて詠んだ太安万侶をたたえる歌碑があります。また、多の子どもたちが通う南小学校には、正門を入ったところに明治100年を記念して建てられた太安万侶をたたえる大きな石碑があり、子どもたちの成長と学業を毎日見守っています。

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