遺跡 - 十六面・薬王寺遺跡

2014年9月1日更新

十六面・薬王寺遺跡の上空から撮った写真と出土した古墳時代初期の土器の写真

時代

弥生時代〜室町時代

所在地

奈良県磯城郡田原本町大字十六面、薬王寺、保津の各一部

交通

近鉄橿原線田原本駅下車 西へ徒歩約25分 近鉄田原本線黒田駅下車 南へ徒歩約25分

特徴

 十六面・薬王寺遺跡は、奈良盆地の中央、標高46メートル前後の沖積地に位置する。その遺跡範囲は長軸1.3キロメートル、短軸700メートルと広大ではあるが、一つの大きな遺跡ではなく、それぞれ時期と性格の異なる遺跡が集まった「複合遺跡」である。

  1. 遺跡北西端(現富本集落の南東付近)では、3〜4世紀の集落と墓域がみつかっている。古墳時代初頭には方形周溝墓の築かれる墓域だったが、古墳時代前期中頃〜中期前半には集落域となった。特に、古墳時代前期に玉つくりを行っていたことが判明しており、奈良県内では数少ない事例となる。
  1. 遺跡南東端(現薬王寺集落南部)では、3〜4世紀の墓域が拡がる。特に、古墳時代初頭の円形周溝墓は奈良盆地低地部での類例が少ない。
  2. 遺跡中央南(現薬王寺集落西部〜現十六面集落付近)では、5〜6世紀の集落跡がみつかっている(橿原考古学研究所調査)。木製の鞍・椅子などの木製品が出土しており、小地域の首長クラスの人物がいた可能性がある。
  3. 遺跡北半の広い範囲に古代の水田跡が拡がる。また、これに伴う計画的な用水路もみつかっている。7世紀頃の土地開発を考える上で重要な成果と考えられる。
  4. 遺跡南西部(十六面集落付近)では、平安時代頃の集落跡がみつかっている。墨書のある須恵器や箸・扇子などが出土しており、在地有力者層の屋敷地であった可能性がある。
  5. 遺跡中央北(現薬王寺集落北西部)では、環濠をもつ中世の屋敷跡がみつかっている(橿原考古学研究所調査)。「保津北浦」「ホツノマエ」といった小字名が残ることから、保津氏の居館跡と推定される。
  6. 薬王寺集落も室町時代頃にはじまると考えられる。なお、薬王寺集落西部の小字名に「大門」「坊垣内」などがあり、白鳳期の創建と伝えられる「薬王寺」の推定地となっている。ただし、現在までの調査では凝灰岩製宝篋印塔(ぎょうかいがんせいほうきょういんとう)など中世寺院関連の遺物はみられるものの、古代に遡る遺構・遺物は確認できていない。

 遺跡は、中央を京奈和道が縦断し、県道桜井王寺線が横断するため、沿道部に大型店舗や工場・集配施設などが建つ。また、宅地となっている部分も多い。現在のところ説明板設置などの整備は行っていない。

遺跡の変遷

1〜3

遺跡の変遷1〜3の地図

4

遺跡の変遷4の地図

5~7

遺跡の変遷5〜7の地図

出土した主要な遺物

 弥生土器・土師器・須恵器・陶磁器・銅鏡・和鏡・銅銭・玉類など 和鏡は現在唐古・鍵考古学ミュージアムで展示

この記事に関するお問い合わせ先
担当課:文化財保存課調査係
電話:0744-32-4404