「語り部」稗田阿礼と賣太神社

2012年8月17日更新

 古事記の編纂に太安万侶とともに大きく関わったもう一人の重要な人物がいます。「語り部」として古事記を暗誦(あんしょう)し、太安万侶に語り伝えたとされている稗田阿礼です。阿礼は7世紀後半に舎人として宮中に仕えた役人でした。古事記序文によると、天武天皇が稗田阿礼に命じて帝紀・旧辞を暗誦させ、それを太安万侶が編纂し筆録して元明天皇に献上したといわれています。

 稗田阿礼とはどんな人物であったのかについては古事記序文に書かれていることしか分かっていません。ただ、記憶力に優れた優秀な役人であったであろうことは、序文からうかがえます。

 名前の響きから女性というイメージもありますが、舎人という官職は男性を表しています。また、稗田氏は天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祖とする猿女氏(さるめうじ)の一族であり、稗田に居住していたといわれています。

 現在、大和郡山市稗田町にある賣太神社は、稗田阿礼を主祭神として祭っています。そして毎年8月16日には、稗田阿礼の遺徳を偲(しの)んで「阿礼祭」が執り行われます。賣太神社は、昭和16年の古事記撰上1230年を記念して、太安万侶を祭る小杜神社(こもりじんじゃ)とともに境内が拡張整備され、社殿を新築し昭和19年に今の姿になりました。また稗田は田原本町の保津とともに環濠集落として有名です。

 そして今も「語り部の里」として童話や民話が語り継がれています。小杜神社と並び称されることの多い賣太神社にぜひお参りしてみませんか。

稗田の環濠集落の写真

稗田の環濠集落

賣太神社の写真

賣太神社

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