田原本ふるさとかるたの解説(No.31~No.35)

 五百年 みんなを見守る 大樟の樹

かるた

解説

 薬王寺の八幡神社にそびえる樟の巨樹です。樹齢約550年余りで、高さ約30メートル、周り約6メートルで樹枝は四方に広がっている古木です。そのため、はるか遠くからでもその茂りを見ることができます。県の文化財(天然記念物)に指定されています。

 田原本役場 五千石の 陣屋跡

かるた

解説

 現在の田原本町役場周辺は、平野氏の陣屋(役所)があったところです。平野権平長泰は、「賤ケ岳の戦い」(1583年)での功績が認められ、田原本に五千石の領地を与えられました。2代目長勝は、陣屋を建造し(1635〜1648年)、町は奈良と吉野を結ぶ交通の要衝として発展しました。現在、陣屋は残っていませんが古い町並みは、細長い碁盤目状で、各所で折れ曲がったりT字形の三叉路となっていて、外敵の侵入を防ぐ構えとなっています。

 中世の 環濠残る 保津の集落

かるた

解説

 保津の集落は、大和平野に数多くある環濠集落の代表的なものです。中世の文書には、保津の名がありますが、環濠の掘られた時期ははっきりしません。昔の絵図(1704年)によると環濠は東西・南北約100メートルのほぼ正方形に近く、鏡作伊多神社が南側に張り出しています。濠は敵から村を守り、農業用水にも使われたと思われ、幅は約4メートルでした。

  「元伊勢」と 伝わるこの地は 笠縫の邑

かるた

解説

 天照大神を宮中から笠縫の邑に移しておまつりされたと「日本書紀」に書かれています。それは秦庄と 新木の間にあったと伝えられています。その後、伊勢神宮に移されおまつりされることになりました。ここは数多くある「元伊勢」の有力な伝承地のひとつです。

 商売繁盛 大和の大坂 田原本のまち

かるた

解説

 田原本は奈良盆地の真ん中にあり、中街道(古代の幹線道路・下ツ道)の通る町です。寺川の水運によって大阪との結びつきが強く、寺内町の東に2代目領主の長勝が陣屋町を建設しました。水運と陸運の要所として商業が大いに栄え、大きな問屋が軒をつらね、「大和の大坂(阪)」とも言われました。 

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