田原本町に伝わる昔話 - 第6話

田原本町に伝わる昔話のイラスト

弘法大師にまつわる話(その2)

四、秦楽寺の七不思議(広報たわらもと1990年4月号掲載)

秦楽寺の池は弘法大師が造られたという話はすでに書きましたが、ほかに七つの不思議なことがあるとの言い伝えがあります。

一、阿字池はいずれの方向から見ても地形の全部が見られず、ひとすみだけは見えないということです。

二、阿字池は百日の干ばつでも、水が絶えてかれたことがないそうです。

三、池中には藻や浮草が生じないということです。

四、木の葉が浮かばないそうです。

五、ヒルが住まないといわれます。

六、かえるが鳴かないそうです。弘法大師が修行中やかましいので、鳴くことを封じたといいます。

七、池水が田の水より少し目方が軽いそうです。

みなさんも一度現地を訪れて試してみてはいかがでしょう。

(『大和の伝説』高田十郎編より)

五、弘法井戸(広報たわらもと1990年4月号掲載)

 田原本の楽田寺の山門をくぐると、右手に井戸を見ることができます。この井戸は弘法大師が高野山へ行かれる途中に、楽田寺へ寄られた時に、干ばつに苦しむ農民の訴えを聞いてここに井戸を掘られたということです。それでこの井戸を弘法井戸と呼んでいます。

 水は常にわいて、昔は田んぼの用水にも利用されていたそうです。水は弘法水と呼ばれています。

 この楽田寺は古くから雨ごいの寺としても知られています。お寺には絹本著色善女龍王図がのこり、明治にいたるまで雨ごい祈とうの本尊として用いられていました。弘法大師が京都の神泉苑で祈雨の法験があって以来、東密の秘法として相承された請雨法の本尊は「善女龍王」であり、高野山金剛峯寺蔵本は国宝として有名です。このことから弘法大師と楽田寺とのかかわりは相当深かったと思われます。いまこの「善女龍王図」は、奈良県指定の文化財(絵画)になっています。

 さらに下ツ道(中街道)沿道の奏楽寺、本光明寺などは、大師の通行路に接していて、大師にまつわる話が遺されて、これらの話は伝説というだけではなさそうです。

(参考『ふるさとの古寺らくでんじ』『田原本町の佛像』)

 弘法大師は書道の三大家の一人に数えられていることは前回にのべましたが、ことわざに「弘法筆を択(えら)ばず」があります。「能書不レ択レ筆」という中国の語句を、日本の民衆の知識のなかに翻訳したのだそうです。

 また「弘法も筆の誤り」は応天門の額を書いて点を書き落としたところから出たものです。

 その点を筆を投げ上げて直したところから「弘法の投げ筆」になりました。「猿も木から落ちる」や「上手の手から水がもれる」などのことわざと同じ意味でつかわれます。

 さて、点を書き落としたという話は、先の話の百済寺のバンの梵字池をつくったときに、点がぬけていたという話ともよくにています。話はおそらく共通のものであったのかも知れません。

(参考『日本故事物語り』池田弥三郎・河出書房新社)

六、なつめが原(広報たわらもと1990年5月号掲載)

 桜井市江包(えっつみ)を流れる初瀬川の観音橋の上流、つなかけばし付近から西の一帯を、昔から「なつめが原」と呼んでいます。

 このあたりは桜井市になりますが、田原本町笠形や蔵堂(くらんど)と接していて、江包から流れる水路を「なつめ川」と呼んで、「この辺は嫁入りの通ったらあかんとこ」と伝えられています。

なつめのイラスト

 このなつめが原の話を、江包の植田明夫さんから、植田さんの田んぼで聞きました。(五十五年)

 なつめが原。わしとこのこの田のこの辺を言うてます。

 昔この辺にはな、なつめの木がぎょうさんあって、実がようなったそうや。あるとき子どもらがな、その木に上ってなつめの実をとって食べとったらな、きたない格好の疲れ果てた坊さんが通りかかって、「腹が空いてんので一つくれんか」言うて、木の上の子らに声かけやはったそうや。

 子らは「お前にやるようなもんは一つもあらひん」言うて、 虫の食たのや熟したらひん実を坊さんに投げよったそうや。

 そしたら坊さんおこってな、「そんな人にやれんようななつめやったら、次の年から絶対実のならんようにしたる」言うて、消えてしもたそうや。子らはびっくりして家へとんで帰りよった。

 そんなことがあってな、次の年からは実はならんようになったというこっちゃ。その旅の坊さんこそ、あのお大師(だいっ)さん(弘法大師)やってんと。

 なつめ川に沿うた道はな、いまも嫁はんの荷や婚礼のタクシーは心得たもんで、めったにとうらへん。

 なつめの木はなぁ、今はもう一本もあらひん。わしが中学校卒業したじぶんやから、もう四十年も前かなぁ。百姓しはじめたころには、わしの地(じ)に一本だけ生えとった。その木の下でいっぷくする人が多かってんが、こんな木あるさかい嫁はんも通らひんと、よう言われたもんやさかい、切ってしもたった。いま残しといたらよかってんなぁと思うこともある。せやけどそのなつめ、こんなちっちゃなもんで、キンカンをちっそしたような実で、リンゴみたいな味もしてんが、酸やらしぶいやらで、一つも食べられんかった。木切ってしもたんも、その辺もありまんねわ。

 今まで二回にわたって弘法大師にまつわる話を書いて来ました。水に関して奇瑞(きずい)を表した話、そして大師に親切にしたものは利を得、不親切にしたものは害を受けるといった教訓がからんで、これに似た話はいまも広くのこっています。

お伽噺「蜘蛛(くも)と蜂(はち)と蟻(あり)の話(広報たわらもと1990年2月号掲載)

 むかしあるところに、蜘蛛、蜂、蟻の三匹がおりました。

 ある日のことに、この三匹がいっしょになって初瀬参りをしました。ところが黒崎(桜井市黒崎)のあたりで蜂と蜘蛛が百文(ひゃくもん)のお金を拾って、互いに自分のものにせんものと争っていました。このとき蟻が申しますに「お金はみんなわたしのものです」と言います。他の二匹がこれは私たちが拾ったものだからお前のものではないと言ってききません。

 蟻はまた二匹に向かって「皆のものよく聞きなさい。昔から蜂は八文、蜘蛛は九文、あとの有るだけ蟻のものというではありませんか」といいましたとさ。

お伽噺「小豆餅(あずきもち)と団子(だんご)の話」(広報たわらもと1990年2月号掲載)

だんごのイラスト

 小豆餅と団子とが初瀬参りをしました。団子はコロコロと歩きました。餅はベタベタと歩きます。そうであるのに長谷寺の門へは餅が先に着きました。

 団子は不思議に思って「私はコロコロと転がって来たのに、なぜあなたが早かったのでしょう」と言いました。すると餅は「私はいつも小豆つけている(歩きつけている)から早いのです」といいましたトサ。

(二話とも『磯城郡四ヶ村風俗志』奈良県立図書館蔵)

次回は「霜焼けのなおる川の水」「ウコギ(黄金木)の話」』です

この記事に関するお問い合わせ先
担当課:図書館
電話:0744-32-0262