田原本町に伝わる昔話 - 第1話

田原本町に伝わる昔話のイラスト

元旦に鳴く黄金の鳥 (広報たわらもと1989年1月号掲載)

 東井上を東へ出たところに、小さな1つの塚があります。

 塚の上にはいまアンズの木が植えられていますが、昔は塚の真ん中に長さ1メートルくらいの小さな標木が立っていて、草木が茂っていたそうです。

黄金の鳥のイラスト

 この塚は以前には、天子の御陵といわれ、塚の樹には1年中真っ赤な花が咲いていました。その花の上に毎年1月1日の午前1時ごろに黄金色の小鳥が来て、美しい声で鳴くのだそうです。するとその下から黒い蛇が出てきて、塚の標木に巻き付いたと言います。(「大和の伝説」高田十郎・東井上の植田寅雄氏の話から)

※昭和63年にこの塚の整備のために発掘調査が行われました。塚の中からは宝ぎょ印塔の1部が出土して、お寺の瓦などがたくさん出ました。この調査で、平安時代後期の土地の上に塚が造られたことがわかりました。

 またこの場所の小字名が「大日」となっていますので、たぶん近くに大日堂があって、お堂にかかわった人の追善供養のために塚が造られたと思われます。そして「元旦に鳴く黄金の鳥」の伝説は、その後東井上の人々の生活の中から生まれて来たのでしょう。

 似た話は阪手北にも残っています。

ガタロの話(広報たわらもと1989年8月号掲載)

 「古き池などにはぬしといえるもの棲みて人をひくといひ、独りでは近づくべからずと老人より教えられたり。また池にはガタロ(河童)すみいて、水に入る人の尻の穴を吸ふといはる。

 むかしは瓜の初なりを川に流しておけば、その家の子供はガタロにねらわれざるなりとて、よく流しおきしといふも、今はこの事のほとんど行はれず。」(「大和昔話」沢田四郎・昭和六年)とあるように、田原本町にもこの話はのこっています。

ガタロのイラスト

 以前法貴寺の村を流れる初瀬川に、乱杭井堰(杭をたくさん打ち込んだ井堰)があって、大きな深い淵になっていました。

 当時の川はたいへなきれいで、アユやウナギがいたくらいですから、夏ともなると男の子はパンツ1枚で、女の子はシミーズ姿でよく泳ぎました。勿論学校にはプールなどは無い時代です。

 勉強や家の手伝いをしないで泳いでばかりいると、「深い水の底にはガタロが住んどる。尻の穴から血を吸いとっりょるから、1人で泳いだり、長い間水に入ったり、石やゴミを川にほりこんだり、小便をしたらあかん」とよく言われました。こどもたちは怖いこともあってこの戒めをよく守りました。

 「初ギュウリは川のガタロに供えた」、「初ギュウリを川へ流すとガタロは水難から子供を守ってくれる」などと言ったということも残っています。

 ガタロ(河太郎)はカッパ(河童)と同じで、いずれも水の神の使い、あるいは水神そのものをあてています。

 河の神は中国では「河伯」と書かれ、日本へ伝わるとそれを「河童」とよんで、特有の形をしたガタロやカッパをつくりあげました。水に対する恐れが、水を大切にしようという考えに変わり、河神信仰が通俗化すると、河神がガタロに仮想し、それをシンボルにして人々に恐れを抱かせました。

 大切な水を犯してはいけないから「ガタロがいるから気をつけよ。1人で川遊びをしてはいけない」といった具合に戒めて、同時にガタロを川の神として祀り、水を保護し、水による人間への災害を防ごうとしたのです。(参考図書「自然と日本人」樋口清之・講談社)

 しかし、現在では、川で泳ぐ子もキューリを供える風習もすっかり見かけなくなって、その代わりに水は汚くなり、ゴミの流れる川になってしまいました。いよいよ川の神ガタロも黙っていないかもしれません。

次回は「黄金の鳥が鳴く塚」「十六の面」

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