平野権平(長泰)宛豊臣秀吉感状

平野権平(長泰)宛の豊臣秀吉感状2通の写真

 近世田原本の歴史は、田原本村に陣屋を構え、町場の育成を行った旗本平野氏の存在を抜きにして語ることはできません。

 本町域内に知行地を与えられた平野権平(長泰)は、尾張国の出身で、羽柴(豊臣)秀吉に仕え、天正11年(1583年)4月の賤ヶ岳の合戦では、福島正則・加藤清正らとともに「七本槍」の一人として活躍し、その名を天下にとどろかせた人物です。

 今回指定した古文書1は、この合戦で軍功をあげた権平に対する秀吉の感状で、褒美として「三千石」の知行をあてがうとされています。このときあてがわれたのは、本町域内の村々ではありませんが、著名な「賤ヶ岳の七本槍」の一人に対する秀吉の感状として、全国的にも注目される史料です。

 権平は、その後秀吉の勘気をこうむり、知行高も千石に減らされていましたが、大和国総検地が行われた文禄4年(1595年)に賤ヶ岳の旧功を嘉賞され、四千石を加増されるようになりました。古文書2は、このときの豊臣秀吉の感状で、加増に伴って権平の知行高は五千石となりました。残念ながら、古文書2の文中に「別紙」とある知行「目録」の現物は残っていませんが、その写には「十市郡」の「佐味村」「竹田村」「保津村」「田原本村」「薬王寺(村)」「神(秦)楽寺村」「飯高村之内」で合わせて「五千石」となっています。本町域内に平野氏領五千石が成立するに際して出された感状として、本町にとって大変貴重な史料といえるものです。

種別

有形文化財(古文書)

名称

平野権平(長泰)宛豊臣秀吉感状

  1. 平野権平宛羽柴秀吉判物(天正十一年六月五日)折紙1通
  2. 平野権平宛豊臣秀吉朱印状(文禄四年八月十七日)折紙1通

所有者

福岡洋介さん

  1. 縦31.7センチメートル、横50.2センチメートル
  2. 縦46.3センチメートル、横66.5センチメートル

時代

  1. 安土桃山時代 天正11年(1583年)
  2. 安土桃山時代 文禄4年(1595年)
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