(国史跡)唐古・鍵遺跡の変遷
2007年7月12日更新
遺跡は、およそ次の5段階に変遷しています。
ムラの形成(弥生時代前期)
やや小高い所を選んで人が住むようになります。遺跡の北部、西部、南部の3ヶ所にムラが形成されたようです。
ムラの分立(弥生時代中期初頭)
3ヶ所に形成された居住区が、それぞれ周りに溝を巡らせて「環濠集落」の形をとります。西側の地区では大型建物も建築されました。
ムラの統合(弥生時代中期)
3ヶ所の居住区が統合され、全体を囲む「大環濠」が掘削されます。大環濠で囲まれたムラの大きさは、直径約400メートルと考えられます。その周りを幾重にも溝が取り囲んでいました。中期後半には、楼閣をはじめとする建物、鹿、人物などの絵画を土器に描く風習が広まりました。
ムラの発展(弥生時代後期)
中期末の洪水で環濠の大半は埋没しますが、すぐに再掘削が行われています。環濠帯の広さも最大規模となります。後期のはじめには、ムラの南部で青銅器の製作が行われました。
ムラの衰退(古墳時代前期)
古墳時代前期には大環濠はなくなり、ムラの規模が縮小します。環濠の一部は再掘削されますが、 井戸などの居住区関連の遺構は大幅に減少します。
ムラのその後(古墳時代以降)
遺跡の中央付近で古墳時代後期の前方後円墳がみつかっています。この時期にはムラは消滅し、墓域となっていたようです。 中世には、在地武士の「唐古氏」「唐古南氏」「唐古東氏」の居館が遺跡内につくられます。唐古南氏の居館周辺は現在の鍵集落へと発展していくようです。
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